釧路港と太平洋を望む風景

東京と釧路。この2都市の間には、かつて太平洋の波涛を切り裂いて走る巨大なフェリーが存在した。夜の東京港を静かに離れ、30時間以上をかけて北海道の東端へと向かう航路は、単なる移動手段ではなかった。旅行者にとっては「旅の始まりそのもの」であり、物流の担い手たちには命綱のような存在だった。「ニュー東京-釧路」というキーワードは、今でも船旅を愛する人々の記憶に深く刻まれている。

東京-釧路フェリー航路の誕生と全盛期

近海郵船が運航していたこの航路は、長い歴史を持つ。東京港と釧路港を直接結ぶ定期フェリーとして、昭和の時代から多くの旅客と貨物を運んできた。そして1990年代に入り、この航路は大きな転換点を迎える。

東京-釧路航路の新造船計画は1987年頃から検討され、「さろま」に代わり、姉妹船の「ブルーゼファー」と共に1990年に就航したのが「サブリナ」だ。この船の登場は業界に衝撃を与えた。それまでの実用一辺倒なフェリーのイメージを根本から覆す、客船さながらの豪華な内装。ホールにプロムナードギャラリー、そして洗練されたデザインが船内を彩った。

船名はオードリー・ヘップバーンが出演した映画「麗しのサブリナ」の主人公名から命名され、従来のフェリーのイメージを一新すべく、ヘップバーンの代表作「ローマの休日」などがモチーフとされた。そんな背景を持つ船が、荒れる太平洋を北へ北へと進んでいったのだ。

東京港フェリーターミナルの夜景

「サブリナ」が変えたフェリーの概念

就航当初、「サブリナ」の評判は上々だった。L型エンジン9気筒を採用し、東京-釧路間の所要時間を3時間削減。往路を33時間30分から30時間35分、復路を31時間10分から28時間15分へと短縮することに成功した。これは単純な時間短縮ではなく、乗客の快適性と物流の効率化を同時に実現するための技術的挑戦だった。

夜に東京港を出港し、約30時間かけて釧路港を目指すその旅客航路に、1994年頃に往復乗船した旅行者の記録によれば、それまでのフェリーのイメージとは異なる客船様の内装と共有スペースの構造が、最近の旅客重視型フェリーのさきがけだったかもしれない。実際、この船で初めて「フェリーって豪華なんだ」と気づいた人は少なくなかったはずだ。

ただ、航路には課題もあった。東京発の便は釧路・十勝行きで、3日に2便というスケジュールは使いにくいとも評されていた。旅行者にとっては日程を縛られるこのダイヤが、利便性という面でネックになったのも事実だ。

廃止への道と、消えた航路の痕跡

帯広商工会議所の要望により上り便のみ十勝港への寄港を開始したが、旅客・貨物の減少が続いたため、釧路港に就航したRO-RO船による運航に切り替えられることになり、1999年11月で運航を終了した。約9年間にわたって太平洋を往来し続けた「サブリナ」と「ブルーゼファー」の航路が、静かに幕を閉じた瞬間だった。

それから20年以上が経った今も、記憶は消えていない。東京港フェリーターミナルの壁には、長らく「東京23:55~(翌々日)~釧路07:30」という案内文字の跡が残っていたという。時刻案内の横には「サブリナ/ブルーゼファー」の文字も。塗り替えられた壁の下に、かつての航路の記録が静かに眠っていた。

1999年の航路廃止から20年以上が経過したが、売船されたサブリナはその後も健在で、地中海方面での運航が予定されたとも伝えられた。日本の太平洋を知る船が、遠く離れた海でまた波を切っているというのは、どこか詩的な話だ。

釧路にフェリーを取り戻す夢

航路廃止後も、地元ではその復活を望む声が続いてきた。釧路港を発着するフェリー航路を誘致しようという動きが釧路市を中心に始まり、東京と釧路を結ぶフェリー廃止から17年が経過した時点でも、物流や観光への期待から航路再開を目指す動きがあった。トラック運転手の長時間労働問題が社会的に注目されたことや、道東道の延伸といった追い風もあり、フェリー復活論は一時的に熱を帯びた。

実際のところ、現在も東京と釧路を結ぶ旅客フェリーは運航されていない。しかし物流の観点では話が変わる。東京港から苫小牧・釧路を結ぶ内航RORO航路は週5便のペースで運航されており、NX海運が「ひまわり7」「ひまわり8」「ひまわり9」を使って貨物輸送を担っている。旅客は乗れなくても、物は動き続けているのだ。

釧路湿原とタンチョウ鶴の自然風景

現代の東京-釧路アクセス事情

では今、東京から釧路に行くにはどうすればいいのか。選択肢はいくつかある。それぞれに長所と短所があり、旅のスタイルや目的によって最適解は変わってくる。

釧路へのアクセスで最もおすすめな交通手段は飛行機だ。北海道には新幹線が通っていないため、遠方から行く場合はほぼ一択に近い選択肢になる。釧路には「たんちょう釧路空港」があり、羽田空港との間に複数の直行便が設定されている。

羽田空港からたんちょう釧路空港への直行便は、2026年5月時点でJAL・ANA・AIRDO(エア・ドゥ)が運航しており、JALは1日3便、ANAとAIRDOは共同運航で1日2〜3便の体制。フライト時間は約1時間40分だ。早朝便を使えば午前中に釧路入りでき、観光の時間をたっぷり確保できる。移動疲れが少ない点も大きな利点だ。

一方、鉄道好きには特急ルートという選択肢もある。飛行機以外の選択肢として、JR特急がある。北海道は新幹線が通っておらず、特急のネットワークが主な長距離移動手段になっている。札幌〜釧路間を結ぶ特急「おおぞら」は1日5〜6往復運行しており、所要時間は約3時間30分〜4時間で、料金は自由席で片道8,000円前後、指定席は9,000〜10,000円程度が目安だ。

バスという選択肢も意外と使える。札幌から釧路まで「スターライト釧路号」と「釧路特急ニュースター号」の計9往復が運行しており、所要時間は5時間30分程度、片道5,600〜5,770円。東京から飛行機で新千歳に飛び、そこからバスで釧路へ向かうという組み合わせも十分現実的だ。

釧路という街の魅力、改めて

道東でもっとも人口が多い都市として知られる釧路市。最も人気の高い見どころといえば、やはり「釧路湿原」だ。日本最大の湿地帯で、日本最大の野鳥「タンチョウ」をはじめとした野生動物の生息地であり、釧路川をくだるカヌーを目的に多くの観光客が訪れる。

世界三大夕日と評される「釧路の夕日」や、北海道で一番広い動物園「釧路動物園」なども人気。ローカルグルメ「スパカツ」や「ザンギ」「釧路ラーメン」、釧路が発祥とされる「炉端焼き」はぜひ食べてほしい逸品だ。これだけのコンテンツが揃っているのに、首都圏からのアクセスに不安を感じる人が多いというのは、本当にもったいない話だ。

釧路は市内から湿原まで約30分、阿寒湖まで約1時間という距離感で、車があると行動範囲が一気に広がる。特に釧路湿原の展望台巡りや、早朝の霧の中を走るドライブは、公共交通機関では難しい体験だ。ただし冬季の積雪と路面凍結には十分な注意が必要で、スタッドレスタイヤと慎重な運転は必須条件になる。

釧路の夕日と幣舞橋の絶景

長距離フェリーが持つ今日的な意味

ニュー東京-釧路という概念が現代においても持つ意義は、単なるノスタルジーではない。首都圏は東京から徳島経由北九州と茨城県大洗から北海道に向けた2航路など、長距離フェリーの航路は全国で15に拡張されており、高級ホテル並みの客室と満足できるサービスを提供している。フェリーという交通手段は、決して過去のものではないのだ。

環境問題の観点からも、海上輸送は再評価されている。CO2排出量が航空輸送に比べて低いこと、トラックドライバー不足を補う手段として「モーダルシフト」が政策的に推進されていること。こうした社会的背景が重なれば、東京-釧路間の新たなフェリー航路が将来的に実現する可能性も、ゼロではない。

かつて「サブリナ」が夜の東京港を離れた瞬間から始まった旅の体験を、次世代がまた味わえる日が来るかもしれない。それはロマンだけの話でもなく、物流と観光と環境という三拍子が揃えば、十分に現実的なシナリオだ。

東京-釧路をめぐる旅の選び方

ニュー東京-釧路というテーマで旅を考えるとき、今できる最善の選択は何か。結局のところ、答えは旅の目的によって変わる。

時間を節約したいなら飛行機一択。1時間40分のフライトで、北海道の大地へと一気にたどり着ける。早割を活用すれば、1万円台のチケットが見つかることもある。列車旅の風情を楽しみたいなら、羽田から新千歳へ飛び、特急「おおぞら」で釧路へ向かう旅程がおすすめだ。十勝平野の広大な農地と、釧路に近づくにつれて立ち込める霧の独特な景色は、飛行機では絶対に体験できない。

そしてもし、海の上でゆっくりと時間を過ごしたいというなら、北海道の別の港から出発するフェリーを活用しつつ、道東を陸路で目指すルートも検討に値する。旅は手段ではなく、体験そのものであるという原点に立ち返れば、遠回りすることにも意味がある。

「ニュー東京-釧路」。その言葉が指し示すのは、廃止されたフェリー航路の残像だけではない。二つの都市をつなごうとする人々の意志の歴史であり、日本の交通インフラが辿ってきた道のりでもある。かつての航路の痕跡を胸に、今の最善のルートで釧路の地へ向かう。それもまた、旅の醍醐味ではないだろうか。